日系移民の歴史があるから今の楽園ハワイがある

1861年から4年間続いた南北戦争の影響で、アメリカ南部で生産していた砂糖が市場から消え、ハワイの砂糖産業が急激に発展する。西欧人が経営する大規模な砂糖きび畑の労働者を補うために、中国人を移民として受け入れていたが、労働契約期間が終わると彼らは自ら商売をはじめるなど、農園労働者としての定着率が悪いことから、ハワイ政府が日本人を移民として受け入れることを始める。68年にはまず153人が、その後カラカウア王が明治天皇に要請した官約移民、私約移民、自由移民、呼寄(よびよせ)移民など、61年間で21万人を超える日本人がハワイに移り住んだ。

日系移民は、広島や山口、熊本などの農村出身者が多く、誰もがよりよい生活を夢見てハワイに移り住んだ。労働条件は、月26日間労働、1日の労働時間は約11時間、賃金は月$10~15だが、住居と医療の費用は農場主負担だったという。ちなみに$15を円換算すると7円30銭で、当時の日本の平均賃金より高かった。しかし砂糖きび畑での労働は過酷で、さらにできるだけ節約して故郷へ仕送りしていたので、決して楽な生活ではなかったのだ。

日系移民の歴史のなかで、「写真花嫁」というのがある。写真を見てハワイで働く男性に嫁いだ日本人女性のことだ。多くの花嫁を呼び寄せたことで、日本人の男女比率が均衡し、日系人の社会的地位を高め、定住意識も生まれたのだ。

家庭やコミュニティを築き、日本の文化を次世代へ伝え、独自の発想でものを作った彼らの功績を知ることは簡単ではない。しかし今、私たちがハワイに歓迎され、居心地のよさを感じられるのは、日系移民が血のにじむような努力を重ね、ハワイの人々に少しずつ認められてきた歴史があるということを、忘れてはいけない。

数個の行李に荷物を詰めてハワイに渡ったⅠ世たち。

元年者はイギリス船籍サイオト号でホノルルに到着。

各地の砂糖きび畑で過酷な労働を強いられた。

多くの写真花嫁は、パイナップル畑で働いた。

日本から持ち込んだ着物を着た子どもたち。この着物の生地がのちにハワイを代表するアロハシャツになったといわれる。

1901年頃から砂糖きびに次ぐ基幹産業だったパイナップル。

マウイ島の製糖工場。

住居は出身地別に砂糖きび畑の近くに建てられた。

1881年に明治天皇に謁見して移民の要請をしたカラカウア王(写真中央)。カイウラニ王女と山階宮定磨王の縁談も要請したが実現しなかった。

労働者たちの創意工夫が文化に

プレートランチに入っているハワイの定番総菜も、今ではハワイを代表するリゾートウエアも、炎天下の重労働を強いられた日系移民の生活の知恵やアイデアから生まれた。

マカロニサラダ

ハワイの定番総菜は、炎天下の昼食が起源

砂糖きび畑にサイレンが鳴り響き、カウカウタイムという号令とともにランチタイムが始まる。カウカウは食べるを意味するハワイ語だ。ホッとひと息と思いきや、昼食時間はたった30分だけだった。慎ましやかな生活の手弁当では、炎天下の重労働に耐える栄養価のある総菜を作れなかったことから、短時間で高カロリーを摂取できるマカロニサラダを食べる習慣が誕生する。これが定番総菜の起源といわれている。

プレートランチに添えられるマカロニサラダには150年の歴史があった。

労働開始の号令までのつかの間の昼食時間。日陰がない炎天下の砂糖きび畑の重労働。終業サイレンが鳴ると、誰もが畑を駆け抜け帰宅した。

アロハシャツ

ハワイの経済を支えた着物が起源の衣料品

砂糖きび畑で働いていた日系人は、100%綿生地のパラカシャツを愛用していた。船員が愛用していた丈夫な長袖シャツで、手に入りやすかったテーブルクロスで作ったチェック柄が多かった。裁縫の得意な日本人が、持ち込んだ着物を再利用して作ったパラカシャツが、アロハシャツの起源といわれている。派手な開襟シャツは、アロハシャツと呼ばれ、のちにハワイの経済を支えるアパレル産業のきっかけとなった。

ヴィンテージアロハシャツを代表するランドオブアロハ。カメハメハ大王、ウクレレ、フルーツなど、王道のハワイ柄が描かれている希少な一枚。

チェック柄の長袖のパラカシャツを着て農作業を手伝う子どもたち。

ハワイに移り住んだ日本人が、地元に根づく商売を始めた

仕立屋のミウラストア(H.Miura)

労働者の作業服が始まり

日系移民の山口県出身の三浦房吉(ふさきち)さんが、写真花嫁で迎えた奥さんから裁縫を学び、1912年に砂糖きび畑の労働者用作業着を販売したのが始まり。閉店までの93年間も愛され続けた老舗。観光客にはアロハシャツやサーフショーツが人気だった。

房吉さんは、裁縫学校を開き優秀な生徒をお針子として雇って、商品の品質を保っていた。

ハセガワ・ジェネラルストア(HasegawaGeneralStore)

ハワイで最も有名な雑貨店

広島からの移民だったハセガワさん兄弟が、1910年に日本人向けに開店したマウイ島ハナの雑貨店。狭い店内に食品から雑貨、みやげ物まで揃っている。隣接する高級リゾートホテルを訪れたミュージシャンが『ハセガワ・ジェネラルストア』という曲を作り大ヒットする。

約30年前に火災でオリジナルの店舗が焼失。ロコの要望で古い映画館の建物で再開した。

ハワイのこの食、この文化は日本にルーツが

プランテーションの労働契約が終わったあとに、ハワイ暮らしを決意した多くの日系移民たち。彼らが伝えた日本の風習や日常的に使った言葉などが、ハワイの英会話の中に違和感なく受け継がれている。

おかず

プランテーション時代に日系移民が使っていた言葉が、日本語として残っている。OKAZUもそのひとつだ。労働者同士で弁当のおかずを分け合う習慣があったことから、おかず屋を開店した日系移民も少なくない。

1939年に日系移民のイワヒロさんが開店した『フクヤ』のおかずいろいろ。

弁当

BENTOも日本語がそのまま英語になったもの。いろいろな料理をひとつの容器に盛り付ける弁当は、プランテーション時代の日系移民が持ち込んだ文化で、おかずとごはんを一皿に盛り付けるプレートランチの起源といわれている。

スーパーでも弁当が販売され、ハワイでは日本食が身近な存在になっている。

まんじゅう

日系人が伝えた食品のひとつに和菓子がある。広島にルーツをもつチチダンゴや秋田にルーツをもつバターモチなど。なかでもまんじゅうは日系人経営のマウイ島のシシド・マンジュウが、地元紙で紹介されいちやく有名になった歴史がある。

マウイの老舗ベーカリーのりんごまんじゅう。

オアフの老舗店の和菓子。

スパムむすび

ランチやおやつとして親しまれているスパムむすび。その発祥は、日系人女性がハワイのスパムを使って日本のおむすび風に作り、1980年代にホノルルの雑貨店で販売して人気を博したことだといわれている。ハワイのスパム消費量は年間約600万缶で全米第1位だ。

フリカケをかけ玉子焼きを挟んだスパムむすびも、日本の文化を感じる。

豆腐

ハワイでも健康食やダイエット食として注目を集める豆腐の大手メーカーが、1950年に日系人の上原亀三郎さんと鶴子さんが創業したアロハ豆腐だ。豆腐以外にも、油揚げ、厚揚げ、納豆、こんにゃくなど日本食材を作り続けている。

アロハ豆腐のロゴマークの鶴と亀は、創業者夫妻の名前に由来している。

シェイブアイ

1951年に日系移民の松本守さんが開店したハレイワのジェネラルストア、マツモト・シェイブアイスの人気のかき氷。日本から取り寄せたかき氷器で作って、炎天下の砂糖きび畑で働く労働者に販売したのが始まり。

創業67年を迎える老舗店のかき氷は、世界の観光客に人気のハレイワ名物。

ハワイで親しまれている、日系移民が伝えた日本の歳事

端午の節句鯉のぼり

端午の節句は「ボーイズデイ」として、ひな祭りは「ガールズデイ」として浸透している。小学校でかぶとやお雛さまを作ってお祝いしたり、住宅地では鯉のぼりを揚げたりする。年末に餅つきをし、正月に門松を飾る家も少なくない。

大きな鯉のぼりが空を泳ぐボーイズデイ。

鯉のぼり常夏ハワイの盆踊り

プランテーション時代に日系移民が、寺の境内で出身地の民謡に合わせて盆踊りを行なったのが始まり。今でもボンダンスという名前で受け継がれている。毎年6月から9月初旬までハワイ各地の寺院や公園で開催される。

1967年に寺院で開催されたボンダンスの様子。

移民の島ハワイで誕生した各国の移民たちが作り出したもの

世界の人たちが暮らすハワイには、各国の文化や伝統が色濃く残るものがある。その誕生した歴史的背景や物語を知れば、ポルトガルや中国、韓国など各国の影響を受けた魅力的なものがハワイで見つかる。

マナプア

モチモチとした生地で甘めのチャーシューなどの具を包んだ、大きな蒸しまんじゅうのマナプアを初めて販売したのは、リビー・マナプア・ショップだ。1962年の開店当時、中国系移民のオーナーのひらめきで手に入りやすかった具で製造して販売したのが歴史の始まり。マナプアの名前の由来は、ハワイ語のすごくおいしい豚を意味する、メ・オノ・プア・アを短くしたものだといわれている。

開店当時は日用品店だったが、1970年にマナプア専門店になったリビー・マナプア・ショップ。

昔のハワイで入手可能だったシンプルな具が基本だが、現在では北京ダックやピザなど種類もさまざまだ。

マナプアの語源のハワイ語をデザインしたTシャツを販売する店もある。

リビー・ マナプア・ショップ(Libby Manapua Shop)
電話:  841・2253
住所:  410 Kalihi St.
営業時間:  6時~14時 休 月・火曜

ウクレレ

ウクレレの原型は、ポルトガル移民の持ち込んだブラギーニャという民族楽器といわれている。ウクレレという名前は、演奏する指の動きが、ノミが飛び跳ねているように見えたため、ハワイ語のノミを意味するウクと飛び跳ねるを意味するレレから名づけられた。カラカウア王をはじめ王族がウクレレを演奏したことで、ハワイの楽器として知られるようになったともいわれている。

ウクレレは1911年から本格的に生産されはじめ、この4年後にサンフランシスコで開催されたパナマ太平洋博覧会で金賞を受賞した。

サイミン

ハワイ風ラーメンといわれるサイミンは、プランテーション時代に、中国系移民が伝えた中華麺を使って、日系移民をはじめ各国の移民が工夫を凝らして作ったといわれている。砂糖きび畑の労働者が農作業の合間に食べていたという話もあるが、その発祥には諸説ある。現在ハワイ各地にあるサイミンスタンドといわれる専門店のオーナーは、日系移民をルーツとする日系人が多い。

「サイミン」という名称は、中国語に由来する「細い麺」ともいわれているが、定かではない。ちぢれ麺にエビでだしを取った和風スープのハワイ独自の麺料理。

マサラダ

マラサダを初めて販売したのは、レナーズ・ベーカリーだ。創業者のレオナルドさんの祖父母は、砂糖きび畑の労働者としてポルトガルから来た移民だった。キリスト教徒が多いポルトガル移民は、復活祭の40日前の前日(懺悔の火曜日)にラードや砂糖を使い切るためにマラサダを作る習慣があった。母親の提案で約60年前の懺悔の火曜日にマラサダを販売したら大ヒットしたのだ。

ピンク色は、昔から使用しているトレードカラー。

1952年の創業当時とほとんど変わらない店構え。現在は創業者の息子のレオナルドJr.さんが経営をしている。

レナーズ・ベーカリー(Leonard's Bakery)
電話:  737・5591
住所:  933 Kapahulu Ave.
営業時間:  5時30分~22時 (金・土曜は~23時) 無休

日系移民150周年だからこそ訪れておきたい3つのスポット

夢を抱いて海を渡った日系移民を待っていたのは、過酷な労働とそれを耐え忍ぶ日々の生活。21万人を超える日系移民たちの苦労と、誇り高き暮らしを垣間見られる場所を訪ねてみると、もうひとつのハワイが見えてくる。

ハワイ・プランテーション・ビレッジ(Hawaii's Plantation Village)

移民文化の暮らしを見学できる

砂糖きび畑の労働者として海を渡った日系移民の生活を垣間見ることのできる、オアフ島北西部のワイパフにあるハワイ・プランテーション・ビレッジ。日本をはじめ、各国からの移民の住宅と生活必需品が展示されている。雑貨店や銭湯、豆腐店も移築され、当時の生活様式や食習慣を見学できる。ハワイ各島各所で暮らしていた、移民の生活を記録した貴重な写真や資料も保存されている。

プランテーション時代の住居の台所が再現されている。

日本語対応のガイドツアーもある。

移築された当時の住宅。

出身地別に暮らすエリアが決められ、各コミュニティに神社が建てられていた。

ハワイ・プランテーション・ビレッジ(Hawaii's Plantation Village)
電話:  677・0110
住所:  94-695 Waipahu St. Waipahu
営業時間:  10時~14時 休 日曜
料金:  $15、 4~11歳$6、62歳以上$12
URL:  http://www.hawaiiplantationvillage.org

ビショップ・ミュージアム(Bishop Museum)

特別展示「元年者」を開催している

2019年2月24日までハワイアンホールのピクチャーギャラリーで、日系移民150周年を記念した特別展示「元年者」を開催。明治元年に日本から移住した日本人の暮らし、時代背景、約1カ月の航海中のできごとなどを紹介。毎日12時45分から日本語ガイドツアーを実施している。

ビショップ・ミュージアム(Bishop Museum)

電話:  847・8291
住所:  1525 Bernice St.
営業時間:  9時~17時 無休
料金:  $24.95、 4~17歳$16.95、65歳以上$21.95、 3歳以下無料(ハワイアンホール日本語ツアー含む)
URL :  https://www.bishopmuseum.org/japanese-home-page

ハワイ日本文化センター(Japanese Cultural Center of Hawaii)

ハワイ好きなら一度は訪れたい

日系人の歴史と日本文化の理解を高める目的で創設されたギャラリー。日系移民が暮らしていた家や通っていた学校などが再現され展示されている。ガイドツアーでは、砂糖きびなど当時をしのばせるモノに触ることができる。日本文化を紹介する展示も行なっている。

ハワイ日本文化センター(Japanese Cultural Center of Hawaii)

電話:  945・7633
住所:  2454 S.Beretania St.
営業時間:  6時~14時 休 月・火曜
料金:  $10、 6~17歳/学生/70歳以上 $7、5歳以下無料(毎月第2土曜は入場無料)
URL:  http://jcch.com

「146号掲載」

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