創刊から憧れのリゾート地ワイキキを見つめてきたアロハエクスプレス。 ハワイ専門誌ならではの30年を超える記録からワイキキの移り変わりをご紹介。

1989 VOLUME7

昔ながらのみやげ物を買えた デュークス・レーン

デュークス・レ ーンワイキキ・ビーチコマー by アウトリガー の脇をカラカウアAve.からクヒオAve.へ 抜けるデュークス・レーン。かつては、み やげものを販売する屋台が軒を連ね、多く の観光客でにぎわっていた。2017年にグル メ&ショッピングスポットのデュークス・レ ーン・マーケット&イータリーがオープン したことで路地の雰囲気が一変した。 (1989年アロハエクスプレス7号に掲載)

1989 VOLUME7

格安のブッフェレストランだった ペリーズ・スモーギー

クヒオAve.にあったブッフェレストランクヒオAve.にあったブッフェレストラン。 朝食、昼食、夕食を$5~$10の格安で提供し、 長蛇の列が絶えることがなかった。味の評 判は分かれることがあったが、35年以上に わたり営業を続け2009年に閉店。その後、別 のブッフェレストラン、マキティが開店した が、開発計画に伴い閉店。今は更地となりフ ードトラックが営業をしている。 (1989年アロハエクスプレス7号に掲載)

1992 VOLUME19

世界の観光客を魅了した コダック・フラショー

コダック・フラショー1937年からカピオラニ公園のバンドスタンド で開催されていた、無料のコダック・フラショ ー。1999年にスポンサーがコダックから現地 の旅行会社に替わり、名称も変更して継続さ れたが、2002年に不景気の波に惜しまれつつ 幕を下ろした。観客も一緒に踊ったり、ショー のあとに記念撮影ができたりと、楽園ハワイ らしいイベントだった。 (1992年アロハエクスプレス19号に掲載)

1996 VOLUME39

ワイキキの魔法石は さりげなく置いてあった!

ワイキキの魔法石ワイキキ交番の近くにある魔法の石は、 16世紀頃にカフナと呼ばれる祈祷師が 治癒力を吹き込み、カイムキから一夜の うちに運んだといわれる巨石。そんな神 聖な石にもかかわらず、1996年の取材当 時は、柵もなくさりげなく置かれていた。 腰かける観光客が多かったのか、1997 年に鉄の柵が設けられた。 (1996年アロハエクスプレス39号に掲載

2010 VOLUME105

ワイキキ・ビジネスプラザに 鯉の滝登りが描かれていた

ワイキキ・ビジネスプラザの外壁に描かれていた鯉の滝登りワイキキの中央にあるワイキキ・ビジネスプラザの外壁に描かれていた鯉の滝登りは、待ち合わせの目印として親しまれていた。ビルのオーナーが風水を取り入れ て描いたタイル画といわれ、たびたび工 事が行なわれても長年残されていたが、 2014年にスウェーデンのアパレルメーカー、H&Mの進出とともに姿を消した。 (2010年アロハエクスプレス105号に掲載)

1996 VOLUME37

老舗ラーメン店のえぞ菊は、日本人観光客の強い味方だった

老舗ラーメン店のえぞ菊1974年にワイキキに開店したえぞ菊は、かつて東京・早稲田に本店があった老舗ラーメン店の海外進出1号店。ハワイ旅行が身近になった時代から2016年の閉店まで、日本語で気軽にラーメンを食べられる店として、日本人観光客の強い味方だった。今はロイヤル・ハワイアン・センターのパイナラナイで、老舗の味を受け継いでいる。(1996年アロハエクスプレス37号に掲載)

2008 VOLUME93

今はなきナイキタウンは、観光客の人気店だった

観光客に人気だったナイキタウン2009年に、日本未入荷のアイテムが手に入ると観光客に人気だったナイキタウンが閉店した。その1年前には、同じキング・カラカウア・プラザにあったオールスター・ハワイもバナナ・リパブリックも閉店していた。その後もテナントが入らずゴースト化しているが、最近になってホテル建築計画が浮上している。(2008年アロハエクスプレス93号に掲載)

DUMMYDUMMY

アロハエクスプレス創刊号

アロハエクスプレス創刊号1987年11月15日に創刊されたハワイ専門誌。毎号現地取材による最新情報と特集企画でハワイの楽しみ方を提案する。創刊号は、マウイ島の特集のほか、ダウンタウンの徹底ガイドやヴィンテージアロハの記事といった、なんとも通好みの企画。ハワイを広く、深くという考えは、30年たった今でも、編集部のポリシーとして受け継がれている!

「145号掲載」

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