バニアンツリー

生まれ変わったワイキキのランドマーク

インターナショナルマーケットプレイス(InternationalMarketPlace)

最も新しい商業施設に変貌を遂げたワイキキ最古のショッピングモール

1957年にオープンし、多くの観光客に親しまれたワイキキの真ん中のショッピングモール。大きなバニアンツリー、小さな池と滝が象徴的なモールは、1962年公開、エルヴィス・プレスリー主演の映画『ブルー・ハワイ』にも映し出された。アクセサリーや小物、Tシャツなどを売る小さな屋台いくつも並び、ヤシの実でお面を作るアンクルやラウハラの葉で帽子やバッグを編むアンティの姿もあり、庶民的なハワイが感じられた。ハワイで値切り交渉ができるモールとしても有名だった。本誌30年の歴史のなかで、最も変貌したランドマークといえるだろう。

本誌3号に掲載された1988年当時の正面入口の様子。ワイキキとは思えないほど緑が豊かだ。1988 VOLUME3。

2005年の取材時には、看板のデザインが変わり店の数も増加。この当時の看板は、現在3階のパーキングエントランスに飾られている。2005 VOLUME105。

2016年に有名なブランドやレストランが出店する、ワイキキで最も新しい商業施設としてリニューアルオープン!2017 VOLUME142。

デューティー・フリー・ショッパーズ(DutyFreeShoppers)

世界の観光客の志向を映し出す建物も名称も変わった免税店

1962年に北米初の店舗としてハワイに免税店がオープン。これは、日本で海外渡航が自由化される2年前のこと。そのせいか、日本人観光客の志向を色濃く映し出すランドマークだった。ハワイ旅行が身近な存在となった時代は、アルコール類やタバコ、香水などをみやげとして買い求め、それら免税品が売り場の大半を占めていたこともある。その後、ハイブランドやハワイ限定などが人気となり、世界各国から訪れる観光客のニーズに合わせるように大改装を行ない、2018年までに2回も生まれ変わった。

本誌3号取材当時、ロイヤルハワイアンAve.沿いに入口があった。1989 VOLUME7。

今、メインエントランスとなっているカラカウアAve.には、デパートのウールワースがあった。

2001年に1回目の改装を行ない、名称をDFSギャラリアに変更。最先端ファンションを意識した品揃えになる。2012年に2回目の改装を行ない、名称をTギャラリアハワイbyDFSに変え、ハイブランド商品を中心としてラグジュアリーに生まれ変わった。

ワイキキ・シアター3(WaikikiTheatre3)

思いっきりアメリカを楽しんだワイキキ・シアター3

ココ・コーヴがあるセンター・オブ・ワイキキの場所に2002年まであったのは、ワイキキ・シアター3。これはカラカウアAve.唯一の映画館で、常時2本の最新作を上映していた。『スター・ウォーズ』や『マーズ・アタック』など、字幕がなくても楽しめる映画を、巨大なポップコーンを買って鑑賞する日本人観光客も少なくはなかった。かつて映画館の上にあったワイキキ・シアター3の象徴だった「WAIKIKI」と書かれたイルミネーションサインは、化粧直しされ、今、モール中央に取り付けられている。

本誌39号に掲載したワイキキ・シアター3の外観。複合施設に生まれ変わったのはこの6年後。日本より早く新作映画が観られるとあって、観光客に人気だった。1996 VOLUME39。

レストランやショップが入るセンター・オブ・ワイキキ。

03.センター・オブ・ワイキキの建物の外壁や内階段の壁に、シアター当時に上映された懐かしい映画のポスターや看板が飾られている。

1988年に発売されたアロハエクスプレス5号にこんな記事を発見!カラカウア通りの今昔物語

ヤシの木よりも信号機が目立つ30年前のナウいカラカウア通り

「祝カラカウア通り完成」という記事が、本誌5号128ページに掲載されている。その記事によると、1年近くにわたってカラカウアAve.の道路工事が行なわれ、街灯と信号機が一体化された茶色い柱が各交差点に設置され、歩道のすべてのタイルも新しくなったのだという。さらに編集部の意見として「流れる曲線の電柱に電気が灯り、道路標示や3色の信号もアナログ的で親しみがあったというが、大目にみても直線的ラインの茶色い柱は納得がいかない」と綴られている。同様の意見があったのかなかったのかは知る由もないが、今のカラカウアAve.には、そんな大きな茶色い柱はない。

茶色い柱が目立つ30年前のカラカウアAve.。1988 VOLUME5。

2018年4月に撮影をしたカラカウアAve.は、道路表示も信号機も景色を遮らないように配慮され設置されている。2018 VOLUME00。

道路標示と信号機を合体した30年前に設置された茶色い柱。柱の前に立つ人と比べると、その大きさがわかる。30年前の記事には、この信号機の設置でスクランブル交差点が作られ、歩行者天国が開催されたことが書いてある。

1998 VOLUME5

2018 VOLUME145

カラカウアAve.とモンサラットAve.の交差点付近から、ワイキキの中心地方面を撮影した写真。店舗の入れ替えやリニューアルが頻繁に行なわれ、日々変貌するワイキキだが、中心地から少し離れた場所から眺める風景は、この30年間大きくは変わっていない。

[1枚の風景写真]○○年前はありませんでした

ワイキキビーチに神様が現われたのは28年前

1988年

1996年

ワイキキの撮影スポットのひとつ、クヒオビーチのデューク・カハナモク像。1988年の本誌3号に掲載したクヒオビーチの1枚の写真には、その姿がない。デューク・カハナモクは、1912年のストックホルム五輪の100m自由形を皮切りに、4つのオリンピックで金メダル3個を含むメダル6個を獲得したスイマーであり、世界各地でサーフィンの妙技を披露したサーフィンの神様。デュークの銅像は、生誕100周年を記念して1990年に建てられた。

完成後に、海を愛したデュークが、なぜ海を背に立っているのかという疑問が出た。彼の功績をたたえ、レイが絶えることがない。

22年前は姿形なしカパフル突堤のあずまや

1996年

2018年

クヒオビーチの東側から海に突き出ているカパフル突堤は、昼間は緩やかに弧を描くワイキキビーチを、夕暮れ時は赤く染まるダイヤモンドヘッドと沈む美しい夕日を眺めることができる絶景ポイント。そんなカパフル突堤のシンボルともいえるあずまやが本誌39号発売当時の1996年にはなかった。ビーチから約50m先のあずまや周辺の海は、ザ・ウォールと呼ばれるボディボードのメッカとしてロコに人気のスポットになっている。

カパフル突堤が海に向かって伸びるこの場所から、その昔ワイキキ3大河川のひとつのクエカウナヒ川が海に流れ込んでいた。

ワイキキを代表する有名店の変遷

田中オブ東京(TanakaofTokyo)

パフォーマンスも人気の鉄板焼きの老舗

1978年創業。スタートは、現在イースト店があるワイキキ・ショッピング・プラザ。ショーのように、シェフが鉄板前でナイフとフォークを操るパフォーマンスも話題で、日本人ツーリストはもちろん、米本土から訪れる人にも人気の店だ。セントラル店は2013年に4階から3階に移転リニューアル。現在、ワイキキとアラモアナで3店舗展開している。

オープン当初の写真。ワイキキ・ショッピング・プラザ4階のエントランス前で社長とシェフたち。1978年。

現在のセントラル店。家族の記念日はここ、と決めているロコファミリーも多く、いつもにぎわっている。

ラーメンなかむら(RamenNakamura)

今も変わらぬラーメン店23年前に小倉智昭がオープン

タレントの小倉智昭が、日本でいちばんおいしいと惚れ込んだ、北海道石狩太美のラーメンなかむらの味を食べてもらいたいと開店。みそ、しょうゆ、とんこつなど、いずれも特注麺を使った自信作が味わえる。一番人気は元祖オックステールラーメン。ちなみに、本誌39号取材時の価格は$9だったが現在は$18.40に。ラーメン1杯の価格にも時代の流れを感じる。

22年前の本誌39号に掲載した開店して間もないラーメンなかむら。1996年。

2年前にリニューアルした今の店舗。場所を移転せず営業を続けている、数少ないワイキキの有名店だ。店内の壁一面に、訪れた有名人のサイン色紙が飾ってある。

場所もオーナーも変わったパンケーキブーム発祥の店

エッグスン・シングス本店(Eggs’nThingsFlagship)、ワイキキビーチエグスプレス店(WaikikiBeachEggspress)

エッグスン・シングスは、1974年にヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ワイキキ・ビーチ・リゾート近くのエナRd.に開店。その後、カラカウアAve.沿いに移転。2008年に商標権を引き継いだ日本人がサラトガRd.に移転オープン。ワイキキ・ビーチエグスプレス店とアラモアナ店も開店した。場所もオーナーも変わったが、創業当時から変わらぬメニューを中心に営業を続ける有名店だ。

本誌39号に掲載したカラカウアAve.沿いにあった店舗。当時の営業は、23時から翌14時までだった。1996年。

アストン・ワイキキ・サークル・ホテル1階のうどん店。


木屋跡に、2011年にオープンしたワイキキ・ビーチエグスプレス店。本店同様に行列のできる人気店。

あの有名人も出店していました

世界の巨匠のカレー専門店

ビートたけしが、映画監督として世界の巨匠と呼ばれる前の時代に、テレビ番組の企画で開店した、北野印度会社ワイキキ店。1987年に開店し、本誌にも広告を掲載していた。当時はとんねるずなど、多くのタレントが、ワイキキに出店していたが、バブルの崩壊とタレントショップブームの終焉により姿を消してしまった。

北野印度会社ワイキキ店は、本誌39号に掲載したカラカウアAve.のカレーハウスCoCo壱番屋に変わった。現在ロングス・ドラッグスがある前あたり。

本誌に掲載された、40歳当時のビートたけしがインド人に扮している広告。

ワイキキってどんなところだった?歴史を学べる日本語ツアー

毎日8万人以上のツーリストが滞在しているワイキキ。ここにかつてタロイモ畑が広がり、魚の養殖場があったことを知る人は少ないかもしれない。ワイキキの昔を知ること、それは今のワイキキをより身近に感じることなのだ。

1935年の写真。パンナムの小型 機がワイキキ上空を飛ぶ。(所有: Hawaii State Archives)

1925年頃の写真。ロイヤル ハワ イアン ホテルからは、ダイヤモンド ヘッドの全景が見えていた ! (所 有:Hawaii State Archives)

伝説も残る王族のリゾート

1795年のカメハメハ一世によるハワイ諸島統一から、1893年のリリウオカラニ女王の幽閉まで、約100年間続いたハワイ王朝。当時、ホノルルの中心はダウンタウンで、ワイキキはタロイモ畑や魚の養殖池が広がる静かな農村だった。しかし、この地にハワイ王族の別荘もあったことから、王族ゆかりの場所や伝説が数多く残っている。さゆりロバーツさん主催のワイキキ歴史ツアーでは、そんなワイキキの自然や文化にまつわる場所を巡って、歴史あるワイキキの魅力を再発見する。ショッピングなどの最新情報やトリビアクイズも盛り込まれているので、ハワイ初心者はもちろん、リピーターにもおすすめしたいツアーだ

散歩しながら知るワイキキの今昔

このツアーで訪れるのは、ハワイ王族ゆかりの場所であるロイヤル・ハワイアン・センター、ワイキキビーチ、アウトリガー・ワイキキ、カイウラニ王女の名前を冠したプリンセス・カイウラニ・ホテル、歴代の王様たちの肖像画があるキングス・ビレッジ、100年以上の歴史があるモアナホテル、そして、ワイキキビーチの魔法石など。各スポットを徒歩で回り、昔の貴重な写真や資料を見ながら、王族との関わりやハワイ文化、自然にまつわる興味深い話を聞き、500年以上にわたるワイキキの歴史に思いを馳せることができる。

さゆりさんがこのツアーを始めた動機は「観光地という顔だけではない、ワイキキの奥深さを知ってもらいたい」と思ったから。ハワイの貴婦人と称されるホテル、モアナ
サーフライダーを初めて見た時に感動して歴史に興味をもったそう。「ハワイにとって大切なワイキキの歴史を、より身近に感じてもらいたい」というさゆりさんの思いがこもったツアーに参加してみたら、ワイキキの風景がまた違って見えるかもしれない

ダイヤモンドヘッドを見ながら、トリビアクイズで大興奮。さて高さは?

メネフネが運んだという言い伝えがあるヒーリングストーン、ワイキキの魔法石。

ロイヤル・ハワイアン・センターでは、ハワイの子どもたちの教育に尽力したパウアヒ王女像を見学。

たくさんのサーフボードが収納されたカラフルなサーフィンの道を通って、ワイキキビーチへ。

ワイキキ歴史街道ツアー(Waikiki Historic Tour)
電話: 258・7328(8時30分~17時 無休) ※予約・問合せ/ハワイ-ヒストリック-ツアー
営業時間:  月・木曜9時~10時45分
金額: $20(中学生以下$10、小学生未満無料) ※要予約
URL: http://www.hawaii-historic-tour.com

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